マズイ! 三宿の坦々麺屋!! の話の拡大版
毎度毎度くだらないことで恐縮なんだけどさ。読み飛ばしてもらっていいんだけさ。俺は坦々麺が好きなのね。で、こないだ三宿の交差点からちょっと渋谷に上った左側で、坦々麺専門店なるものをみつけたんで、喜び勇んでこないだいったらこれがマズイ! 夜中にわざわざいったのを後悔しました。
まあ、本当の坦々麺を知らない人ならそうは思わないのかもしれないけど、俺に言わせりゃこんなの坦々麺じゃない!! 単なる辛い麺。どうでもいいこだわりだけど。
でもさ。確かにどーでもいいことのようにも思うが、こういう事って意外に大切なのかもしれない、とか思う。こないだ雑誌で、イタリアの料理のなんとか協会のエラい人が、「日本のイタリア料理はイタリア料理じゃない!」っていちゃもんつけたっていってて、それに対して日本のイタリア料理屋さんは「日本人向けにアレンジしただけ。そのままじゃ本物は食えない」とか言ってて、確かにそれにも一理あるけど、でもまあ、本物は本物でやっぱウマいんだよね。
この辺の考え方って、ヨーロッパと日本、もしくはアジアで一番開きがあると思うんだけど、ヨーロッパの人というのは確かにオリジナルとか、人の名前とかを大切にするの。とにかくモノマネとかそういうものに厳しい。俺が言うまでもないけど、例えばワインとかには国が決めた呼称法やら製造法があって、それをパスしないとワインと呼べないくらい厳しいでしょ。くわしくはないけど。
それはそれで味を守ってる側面があって、逆に日本人はそういうことに意外と無頓着で、確かにその分確かにアレンジが上手くていい方向に行ったりすることもあるんだけど、ダメなところもある。一番いい例が日本酒でどんどんまずくなる。基本的にはね。だからね。アレンジは否定しないんだけど、実はアレンジという名の「だらけ」というか「努力不足」というのがあってそれが問題なんだよね。
「新しい味を」なんてカッコよくいう場合があるけど、実はそれってかなり難しいことで、完成されたものは完成されたもの。アレンジせずに、別のものを作った場合のほうが大抵いい。
だからさ。やっぱ大抵二世は駄目なのよ。政治家も料理のメニューも。例外もあるけど。
で、話は元に戻るんだけど、だから坦々麺は本物の中華料理屋の方が大抵、というか絶対ウマいわけ。人にもよるけどさ。町のラーメン屋とかで「坦々麺」なるものを食べるとほぼ間違いなくまずい。
だからさ。また話は飛ぶけど、俺はパスタでもタラコスパゲッティはタラコスパゲッティですきで、ペペロンチーノはペペロンチーノで好きなわけ。つまり理想的には両方楽しめることなんだよね。難しいとは思うけど。