★“お笑い自動車評論家”テリー伊藤さんへの回答★
みなさま。もしも今、コンビニか本屋のそばにいれば、発売中の『ベストカー』9月10日号を購入していただきたい。そしてP193を開いて欲しい。そう、例の『テリー伊藤のお笑い自動車研究所』である。果たしてそこにはこのようなことが書いてある。
「(略)小沢コージ君。キミだ。問題はキミの評論スタイルである。ラフでカジュアルな感覚で「カッコいいじゃん」とクルマを評論するのは、確かに新しい。時代にもマッチしている。しかし予言しよう。このままのスタイルで評論を続けていると、すぐに次の若手に追い越されてしまうぞ。(中略)分析すると、キミのやり方は「モーニング娘的」なのである。素人っぽくて、そこらへんにいそうだけど、実は可愛い(詳しい)。そういうやり方はありだけどマネされる可能性が高い」
うぉぉぉぉ、なーんてことだ。生意気を承知でこの場でご返事申し上げますが、ちょっとおかしいではないですかテリーさん。『モーニング娘。』を否定するだなんて。それは貴方御自身を否定するようなものです。
ま、あれはつんくさんの企画であるかもしれませんが、ある意味、“伊藤テリーイズム”そのものだと俺には思われます。要するに「現時点の文化をとりあえず否定し、新たにその時代の“ノリ”で再構築する」という意味で。
だいたい俺自身、『元気が出るテレビ』をみ、初期の『ASAYAN』をみて、このようなノリになったわけで、あれでは、御自身が築き上げたテリー文化(なんだそれ?)を否定するようなもの。勝手連的弟子である俺をそう冷たく扱わないでくださいな(扱ってないか?)。
確かに「ヒッピーをヤッピーに!」とか援助交際を「女子高生が売春してるというより、売春婦が女子校に行ってるわけだからエライ!」と言いきれるテリーさんにはかないません。
しかし、時代の雰囲気を探ってクルマを評論する。これはまさしく自動車評論の王道ではないかと俺は思っています。なぜならクルマは俺にとって、高尚な文学でもなく、難解な科学でもなく、一部のお金持ちだけのものでもないからです。赤点スレスレで女子校を卒業した女の子が買い、首都高にも乗れない老人が操る移動手段。そういうものなのです。それを簡単なわかりやすい言葉で、簡単なロジックとノリで語ることのどこがいけないのでしょうか。むしろこれが王道、これしかないではないかと俺は信じています。
「飽きられる」。確かにそれはあるでしょう。でもそれは比べるのも愚かですが、あの天才、松本人志も長野県知事、田中康夫様も危惧していたことで、多少なりとも物をかいたり、世間様に言いがかりを付ける身としては、さけられない事ではないかと思っております。飽きられたら飽きられた、その時はしょうがないと思っていますし、そうでなければあのようなには書けません。
ま、しょせんはモータージャーナリスト。芸能人や著名人ではないので、貯えた財や有名税で食っていけるとは思っていません。ですが、ダメならクルマ運びかガソリンスタンドか、もしくは出版社の小間使いでもするか、と思っております。
あ、でも今しかし、全体を読み返してみると実はコレ、メチャクチャホメ言葉ですね。おお、これはまことに失礼いたしました。俺の「覆面評論家」への転身。ぜひ前向きに検討させていただきます。貴重なご意見、ありがとうございました。ではこれからもお体に気を付けて。
テリー伊藤様 小沢コージより愛を込めて