学生運動がないことによる弊害!?…『フォーカス』廃刊の一考察
最近さ、『フォーカス』なくなったり、『週刊宝石』なくなったりしてるよね。ふと、これってあることが原因ではないかと思った。
俺が体験してることなんだけど、今30代の編集者って入った頃に、かならず名物編集長なる人達がいて、それって『ポパイ』出したり『SPA!』だしたり、例のFF系雑誌出したりしてるわけ。当時、だいたい40代前後で、いわゆる油がのったバリバリの編集者たち。ま、俺の場合『NAVI』にいたんだけどさ。
そして大抵、その手の名物編集者ってのは学生運動世代なんだよね。いわゆる全共闘世代。ガンコでクセがあって、だからこそある種、硬派な雑誌が作れたと。で、俺達は彼らに叩かれて育っちましたと。いいこと大変なこといろいろありましたが。
で、今、『フォーカス』とか『宝石』とかそういう雑誌がなくなってるってことは、彼らのパワーが落ちた、もしくはいなくなってるからじゃないかと思うのだ。実際、今はみんな50代に差し掛かり、第一線から退くか、辞めたり、いなくなったりしている。
つまり学生運動の是非はともかく、そういうものを体験、もしくは参加してないとそういう硬派な雑誌、ある種、反社会的な雑誌は作れないのだと思うのだ。
実際、俺も含め、それ以降の世代はそもそも社会に対する主張の仕方、つまり戦いかたを知らない。単純に法的な戦いかたのみならず、最も大切な理論武装というか、自分の中の主張がない。そうするとカタログ雑誌しか作れなくなるのだ。俺は自身を振り返って、そう思う。これってすごいことで、そうなると雑誌界全体のパワーは落ちるし、大企業の論理に反抗出来なくなるからね。実際、TVはすっかりダメだからね。
だからさ。学生運動ってのは別に無駄だとか単に青臭い行為というわけではなく、そういう勉強の場にもなっていたはずなのだ。必要なものだったはずなのだ。おそらく。
なくなってもう20、30年は立つわけだけど、いまごろその弊害が目にみえてわかってきているのかもしれないと思った。結構問題だと。