唐突ですが『民主的なレース』はない?
唐突ですけど、今思い付いた。『民主的なレース』ってのはないんじゃなかろうか。よく俺自身、「安くてみんなで出来るレース」とか「レースが日本で流行らないのは、環境が悪い」などと書くけど、それ自体矛盾してるのかも。
今、とあるレース計画が進んでるんだけど、結局レースってどうやってもお金がかかるのだ。よく言う安いレースってレーシングカートから始まって、ナンバー付き車両のヴィッツレースとかアルテッツァレースとか、最近じゃロードスターのJAF公認レース車両ってのがあるけど、結局金がかかるはず。カートだってマジメにやれば年間1千万円はかかるし、ヴィッツレースとかだって、エスカレートしてセミプロ化してるって話だからね。
だからさ。「レースはお金がかかる」「レースをやるのは特権階級(いろんな意味で)」ってのを認めなきゃいけないのかもしれない。大前提で。なんちゅーか、行き過ぎた平等意識。そこから変革しなきゃいけないんじゃなかろうか。
で、そういう意味じゃ不況でそれはなくなってるんだよね。いわゆる「勝ち組」「負け組」って話。意外とレースはやりやすくなるのかも!? なんてことはないかなぁ。