ものの見方
ものの見方は難しいもので、初の金メダルでますます大注目の女子フィギュア。浅田真央ちゃんのことは、とっくに置き去りにされてる感があるけど、荒川選手が取ろうが取るまいが、彼女はやはり出なくって良かったのかもしれない。
というのも最近のスポーツ選手、10代で潰れる選手が実に多い。潰れるとは言わないまでも、途中でバーンアウト! 燃え尽きる。あるいは立ち止まる。女子テニスのマルチナ・ヒンギスもそうだよね。彼女の場合、復活しつつあるけど。
それはちょうど今の若い人が20代前半で結婚しても、すぐ別れてしまうのとも似ている。結局、子供を作らず、恋愛気分が抜けず、結婚しても恋人同士と変わらない。だから別れるのだ。中には子供を作っても別れる人さえいる。
それが悪いとは言わないけれど、逆に荒川選手みたいなパターンを見てると、やはりプロ選手は競技をギリギリまでまっとうした方が美しいと思ってしまう。
サッカーの三浦和良選手もそうで、あそこまで粘るのは、純粋にスポーツへの愛を感じる。逆に若くて活躍するのは、それはそれで努力と才能がいることだけれど、どちらかというと才能が強調されてしまう。それと負けの苦しみに耐えられない。実際、三浦選手は一度でもワールドカップに出ていたら、ここまでがんばれなかったに違いない。
おそらく真央ちゃんは今回出れたとして、順当に行けば、メダルが取れていただろう。それは見る側の都合でいえば、幸せだ。で、なんとなく感じる神経の太さで、それなりに選手生活をまっとうしたかもしれない。だが、途中でやめていた可能性も高い。
今回出れなかった彼女は、その代わりにきっと次回のオリンピック目指して頑張るのだ。そしてより深くスケートを愛するようになるのだ。それはアスリートとして、おそらく幸せである。
しばらく前に俺は、彼女の今の力は15歳の女の子がゆえの微妙なバランスの上に成り立っていると書いた。それはその通りで、今後は人にもよるが、ダイエットなどの戦いが待っているはずだ。
それはきっと正しい戦いなのだ。あの時俺は「女子スポーツは一種のはかないアート」と書いたが、自分に降りかかった運命と戦い続ける女性アスリートの姿が、実は一番美しいのかもしれない。
マラソンの高橋選手にしても、10代は花形選手でもなんでもなかった。若いうちに苦労する。あるいはさせる。浪花節っぽいが、それはそれでスポーツ選手としてありなのかもしれません。ま、タイガー・ウッズみたいな特別な存在もあるんだけどさ。