時計、その不思議なナルシシズムの世界…
この春、またまたスイスの時計フェアに行ってきました。でね。前から思ってたプリミティブな疑問…それは時計って何で高いのか、しかもそれを結構な人が買うのかってこと。それがだんだん見えてきました。
時計というかすべてのブランドってお客とお店が作るものなんだよね。なんつーか、お互いに持ち上げあう関係。「アナタ、ステキよ!」「オマエこそステキだ!」みたいな。どっちかっていうとラテン文化。フラメンコのダンサーと伴奏の関係みたいなもんかな。
それは当事者にとっては、キモチいいものであり、ハタから見るとなんだかわからないわけだよね。一種宗教めいてる。
だから、時計のフェアに行くと、面白いのはジャーナリストっていうか、ライターそれぞれがみんな自分自身「ホメる型」を持ってること。「素晴らしい」「カッコいい」はもとより、
「こ、これはヤラれました…」とか「一種の黄金率です」みたいな感じやら。つくづく妙な、面白い世界である。
みんなでホメたたえあう…おそらくそれは宝塚もそうなんだろうし、芸能の世界はすべからくそう。
だから時計というのは、そういう点で実用品ではなく、芸能界に近い。イメージコントロールは繊細で、情報コントロールは厳しい。クルマとはかなり違っていて、クルマはまだまだ実用であり、オトコ臭い世界。モータースポーツに代表されるように、“美とナルシシズム”の世界ではない。
きっとそれが面白い。難しいんだけどね。