なぜふたりは続かないのか
昔から疑問に思っていたことがある。なぜふたりは続かないのか。俺の回りには、結構ナイスな男とナイスな女のカップルがいて、それぞれ才能も性格もなかなかで愛もあるのになぜか続かない。
一部、女のせいかなと思っていた。今の女は昔とは違って自己主張する、稼ぐ、我慢しない、年老いてもなお美しい。だが、それは違っていた。最近、それが分かってきた。
逆にふたりが続くことがおかしいのだ。結婚にしろ、付き合うにしろ、ふたりの感性の違う人間が、自己を主張したまま長く一緒に生活を共にする、あるいは子供を作る、共通の夢を持ち続ける、そこにそもそもの無理がある。それは男だとか女だとか、性別の問題ではない。おそらく同性でも一緒。共にいるためにはどちらかががんばらなければならない。それが絶対的真理なのだ。
それは古来日本では、一方的に女性が請け負っていた。文化なのか慣習なのか才能なのか差別なのかわからないが、女性担当だった。海外はどうなのだろう。
だが今は違う。戦後の開放で、男も女も、自己を主張し、己の才能を追及し、好きな物を食べ、好きな時間に寝て、自由に好きな人といれるということに“なっている”。それはおそらくいいことなのだが、一つ大きく欠落している点がある。それだけでは、ふたりの生活はほぼ実現しないということだ。
ふたりの生活には、我慢もしくは忍耐、あるいは不感、そして感情移入が絶対的に必要になる。そしてそれは案外、今の日本では教えられてないし、認められてない。一部“過去の遺物”とされていることすらある。
「恋愛」と「長く一緒にいること」の違いが正しく認識されてなく、そのために必要な才能、方法が確立できていない。
自由を謳歌することばかりが尊重されて、“意味の無い”我慢は悪しきものとされているのだ。上手く行くわけがない。もはや新しい文化を築かなければならない。
結構、難しい問題だと思う。