やるべき人ではなく、やりたい人が…
ふと思ったのだが、最近の総理大臣も雑誌の編集長もやるべく人ではなく、単にやりたい、やりたかった人がやってるだけな気がする。
だから執着心も執念もこれだけはという足跡も残さずあっさりやめていくのだろう。そう、例の福田ソーリじゃなかった、元福田ソーリのことね。
その昔、俺が雑誌の世界に入った時、編集長は憧れの座だった。でも、それは順番が来たから、年齢が来たから座れるというものではなく、ある種、特別な能力を持った人のみ座れる位置だった。ところが今の雑誌は、全般的に売り上げが落ちて誰が編集長になっても同じよう…ってこともあるし、それから決定的な人材不足ということで正直あまりインパクトのない人が編集長になったりする。
で、それが遂に総理大臣の世界もそうなったんだなぁと。いくらなんでももうちょっとマシな人はこの日本にはいるはず。でも、そういう人が、最も大切で重要な役職である総理大臣の地位に来ない。それが日本の政治の最大の問題点の1つなんだろうなぁ…と。なさけない。